高橋ウイメンズクリニック

 

患者さんと喜びを共有する
仕事と喜びが一致する人生は幸せです

高橋ウイメンズクリニック
高橋敬一先生

 

千葉市初の不妊治療専門クリニックを開院して20年、これまで15000人以上の妊娠をかなえてきた高橋ウイメンズクリニック・高橋敬一先生。

座右の銘は「継続こそ力なり。問題は常に具体的である。」といいます。日々の診療で心がけていることとは?

 


小学生で豚や牛のお産を体験


千葉県房総半島の東岸、九十九里浜近郊の田園都市(ここはいつも強調します)で三人兄弟の長男として生まれました。実家は米農家で米の販売もしていました。のどかな田園都市、要するに、田舎の農村で、豚や牛やニワトリも飼っていました。
家畜のお産は自然分娩がむずかしいため人が手伝うのですが、私も小学生の頃から、ニワトリの卵を孵したり、家畜のお産に立ち会い、子豚や子牛を取り上げていましたよ。
当時はもちろん、自分が産婦人科医になるとは思ってもいませんでした。その頃の夢といえば、科学者になること。学校の授業も理科や数学、英語が得意でしたね。中学生のときにはロボットに興味があり、工学部を目指していました。

人間のお産を1回も見ないまま、
産婦人科医に



医師になろうと決めたのは高校生のときです。人に直接関わる仕事がしたいと思い、考えついた職業は、医師、教師、弁護士。その3択から医師を選び、医学部に進学しました。
大学6年生のとき、社会的なつながりが深い診療科に進みたいと考え、産婦人科か精神科、どちらにするか悩みました。結果的に産婦人科を選び、国立病院医療センター(現・国立国際医療研究センター病院)で研修医生活が始まったのですが・・・・・・。
「人間のお産を1回も見ないで、産婦人科医になりました」
研修医病院の自己紹介で私がそう言ったとき、婦長さんの顔が引きつったのを、今でもはっきり覚えています。
大学の産婦人科の教授が「学生はお産を見る資格はない」という考えで、私はお産に立ち会ったことがなかったのです。
研修医として勤務し、すぐにお産に立ち会い、34カ月後からは先輩医師といっしょに、1年が過ぎた頃からひとりで、赤ちゃんを取り上げるようになりました。
私がお産につくときには、婦長さんが分娩室に飛んできて、それが2年くらい続きましたね。


新しいことに魅力を感じ、不妊症の道へ

医師になって3〜4年経った頃、ひと通りの診療ができるようになると専門領域をどの方向にするか、考え始めました。
産婦人科の領域は大きく分けると「がん」と「産科」ですが、がんは悲しい思いをすることが多く、自分には向いていないと感じました。産科も好きでしたが、当時、日本で体外受精成功の話題があり、不妊症について勉強してみたいと思ったのです。
新しいことというのは、上の人から教えてもらうのとは違い、自分が勉強することが、これから新しい歴史になる。自分で道を作っていくというのは、とても刺激的でウキウキするもの。これは自分の性に合っていました。
その頃、虎の門病院に当直のアルバイトに行っていました。当時、体外受精を行なっていたのは大学病院ばかりで、民間病院は虎の門病院だけ。たいへん先進的だったのです。
定期的なミーティングがあり、その日に当直を入れて、お産のない時間はミーティングに参加させてもらいました。これがたいへん勉強になり、ますます不妊症治療に興味を持ちました。
やがて、産婦人科の先生が辞めてポストが空くということで、お声をかけていただき、1989年に虎の門病院に移りました。その後、米国・ワシントン大学(シアトル)に1年間留学してクラミジア感染と不妊症の臨床研究も行ない、トータルで10年間虎の門病院に在籍しました。
私の専門は不妊治療ですが、患者さんの病気はさまざまです。がんの勉強をしていないのに診察するのは、患者さんに申し訳ないと思うのと、あれもこれもやって中途半端になってしまう危惧もありました。
そして、虎の門病院を辞めて、千葉市で最初の不妊治療専門クリニックを開院することにしたのです。

開業後はスピード感を重視し、
1万5000人の妊娠へ

開業後は、不妊治療に専念でき、スピード感の違いを感じました。
大きな病院ではやりたいことがあっても、システムの関係で実現するまでに時間がかかりますが、開業後は自分がやると決めればすぐにとりかかれます。それが1万5000名以上の妊娠につながっているのだと思います。
クリニックの特徴として、ART(体外受精)はもちろんのこと、それ以外の可能性も常に心がけて、治療を進めています。
新しい命の始まりに関われることに、本当にやりがいを感じます。なかなか妊娠されなかった方が妊娠なさると、本当にうれしいですね。その一方で、全ての方が妊娠されるわけではないことや、体外受精では妊娠の可否がはっきりと出るので、厳しさを感じます。
もちろん、一番つらいのは患者さんです。できるだけ皆さんが納得の得られる診療を心がけたいと思っています。

「仕事」と「喜び」が一致する人生

お子さんを授かったとき、家族の方はとても喜びます。
あるとき、2人目の治療で来られた患者さんが、お子さんの写真を私に見せながら「(子どもが生まれて)人生、本当に変わりました!」とうれしそうにおっしゃいました。
その喜びを共有できるのはとてもうれしいですし、私が今、存在している意義、仕事をしている意味を実感します。
仕事、イコール自分の喜び。それが一致しているので、私はとても幸せだと思います。

不妊治療をしている人、妊活中の人に伝えたいこと

妊娠への治療法は、ひとつとは限りません。
体外受精に進んだとしても、それしかないと決めるのではなく、さまざまな可能性を考えながら治療を進めてはいかがでしょうか。

PASサポーターになったきっかけ、
Fineに期待すること

患者さんは、自分ひとりで孤独を感じていても、ご主人以外にまわりに相談できる人がいません。患者さんの精神的なサポートは必要だと思いますが、我々が直接行なう余裕がないのが実情です。
Fineには、そうした方が相談できる窓口があり、それに大きな意義を感じます。心の拠り所になるのではないでしょうか。
今度期待することといえば・・・・・・、すでにFineは、私では考えられない活動を想像以上の規模で行なっています。
そうした意味では、今までと同様に、患者さんに寄り添った活動を続けてください。それが、さらに活動を拡大していくのではないでしょうか。

 

 

HP:https://www.takahashi-w-clinic.jp/