ミオ・ファティリティ・クリニック

患者さんと一緒に夢を叶える。

僕の教科書は患者さんです

 

医療法人社団  ミオ・ファティリティ・クリニック

理事長 見尾保幸先生

 

「赤ちゃんがほしい夫婦のかけこみ寺を作りたい」と、鳥取県米子市にミオ・ファティリティ・クリニックを開院して25年。「不妊は病気や異常ではなく、ご夫婦の個性に思えます。不得手は努力して克服するのみ。夢に向かって努力することで夢は叶うのです」。
そう語る院長・見尾保幸先生の思いとは?

 

診察室の裏側でスタッフと歓談。日ごろのコミュニケーションが、よりよい医療へとつながります

 


野山を駆けまわった子ども時代

「岡山県のへそ」といわれる、途方もない田舎の山間地で育ちました。戦前は裕福であった我が家ですが、戦後の農地改革で貧しい暮らしを余儀なくされ、両親が働きに出ていたため、僕と妹は祖父母に育てられました。ときには祖父と猟銃を持って山中に出かけ、野うさぎ、キジ、たまにイノシシなどを捕獲し、食べたものです。まるで「日本昔ばなし」のような世界です。
大自然が生活の場であり遊びの場、生きとし生けるものを肌で感じ、自然に畏敬の念を抱くことも、そうした暮らしの中で身についたことです。
また、祖父母には「人に迷惑をかけてはいけない。人さまの役に立ちなさい」と、よく言われました。私の座右の銘である「利他の心」も、その影響といえるかもしれません。

祖父の最後の言葉を胸に、入試に挑んだ

親戚に裕福な開業医がいましたので、「なにくそ!」という根性で、小学生の頃から医師になりたいと思っていました。とはいえ、塾はもちろん、参考書もない田舎の生活。ひたすら教科書で勉強するばかりで、医学部進学は厳しい状況でした。また、団塊の世代であり、受験者数が多く、合格倍率が非常に高かったのです。
岡山から鳥取大学受験のため、前日に家を出発するのですが、その朝、祖父が突然、トイレで倒れました。心筋梗塞です。
祖父を部屋に運び、布団に寝かせたのですが、遠のく意識の中で、私に向かって「行け!」と言ったのです。そして、こと切れました。私は放心状態のまま鳥取へ向かい、生まれて初めて旅館に泊まり、翌日の入学試験を迎えました。すると、テスト用紙に前日勉強したのと同じ問題があったのです。
その問題を解くと、次々と他の問題も解くことができました。これは祖父が力を貸してくれたのだと感じました。そして、無事に医学部に合格できました。

世界的に活躍する教授に憧れて産婦人科へ

大学では出来の悪い学生でしたが、なんとか卒業させてもらえました。医療用超音波装置の開発と研究の第一人者として活躍されていた前田一雄教授に憧れて、産婦人科に入局しました。僕は内分泌グループに席を置かせてもらい、これがその後の生殖医療につながることになりました。
1978年、イギリスで世界初の体外受精児・ルイーズちゃんが誕生し、新聞の号外を手にして「すごいことができるんだ!」とインパクトを受けました。前田教授に「君もやってみなさい」と勧められ、後輩とともに体外受精の研究をスタート。論文を集めて読んだり、日本では当時、体外受精は畜産の領域だったため、畜産試験場を訪ねて動物の体外受精や受精卵を見せてもらったりしました。
1983年、東北大学で日本初の体外受精児が誕生しました。当時の採卵は、おなかに穴を開けて内視鏡と操作器具を入れて行なっていました。ヨーロッパでは、腹部に超音波をあてて卵巣をモニターに映し出し、それを見ながら採卵していることを知り、1984年からその方法を研究。1985年に学会で発表しました。
これが、日本で超音波を使って採卵する最初の事例となりました。

日本初の経腟超音波による採卵が
現在の産婦人科診察へと広がる

当時の採卵は、腹部から針を刺し、膀胱を通過して卵巣に到達させたので、患者さんにとってはとても痛いものでした。もっといい方法がないかと考え出したのが、腟から器具を入れる方法です。
医療機器メーカーの協力を得ながら、現在の経腟超音波機器の原型を作り、1986年に日本初の経腟超音波による採卵を行ないました。学会発表したところ、「こんなにきれいに見えるのか」と話題になり、採卵だけでなく、産婦人科の診察でも使われるようになりました。
現在、産婦人科の診察で当たり前のように行なわれている超音波検査は、もともとは体外受精の採卵から始まったのです。
大学では15名ほどのメンバーで研究を行ない、「見尾軍団」と呼ばれていました。20年間在籍した大学を辞め、1993年にクリニックを開院しました。

 

スタッフと一緒にランチ

赤ちゃんがほしい夫婦のかけこみ寺を作りたい

開院当時、「赤ちゃんがほしい夫婦のかけこみ寺を作りたい」と目標を語っていましたが、それは今も変わりません。
「患者さんのために役立ちたい、患者さんが喜んでくれるために尽くしたい」、そのために自分は何をすべきか、スタッフはどうあるべきかを常に考え、一貫して取り組んできました。
一番の夢は患者さんと一緒に赤ちゃんの夢を叶えることです。どこまで学んでも、研究しても、努力しても、これでよいということはない、というのが、この仕事のむずかしいところです。苦しいですが、それが楽しみでもあります。いつも患者さんから学ぶことが多く、僕の教科書は患者さんです。
仕事を終えてお酒をいただくときが、一日で一番ホッとする時間です。ゴルフ、ジャス鑑賞、囲碁など、趣味はありますが、それらは自分がリフレッシュして鋭気を養うためにやっている感じですね。休息も含めて、すべての時間を患者さんご夫婦の夢の実現に傾注することが何よりの達成感と醍醐味です。

常に未来思考で、昨日の自分に負けないように準備する

仕事で大切にしているのは、常に未来思考で夢を追いかけ、昨日の自分に負けないように準備すること。少しでもよい方向に常に変化していくように、うまくいかないものは方法を見直し、必要なくなったものはやめる。よりよいシステムに変えて、それを実践することを心がけています。
たとえば、当院では患者さんが来院すると、まず看護スタッフと面談します。今日の診察の目的、体調や気持ちをお聞きして、それから医師の診察となります。面談の情報を共有するので、僕ら医師はそれに即した説明や対応ができます。終了後、再び看護スタッフが患者さんと面談し、納得されて帰っていただけるように心がけています。
卵や胚のことは培養のスタッフに、助成金のことなら事務スタッフに、必要があれば心理カウンセラーにつなぎ、患者さんをサポートします。皆が一人の患者さんにかかわりを持って、患者さんを見守っています。スタッフ一同によるチーム医療で、ご夫婦の夢の実現のために立ち向かっていることは、僕の自慢でもあります。

 

各部門が連携し、チーム医療で診療にあたっています


不妊治療や妊活中の人に伝えたいこと

ネガティブにならず、「夢に向かって頑張ろう」と思ってほしいです。悩んだり落ち込んだりするのは、医療者側がすることです。

PASサポーターになったきっかけ、Fineに期待すること

PASサポーターになったのは、ややもするとネガティブで塞ぎがちになる患者さんの気持ちを勇気づけていただけると思うから。
患者さんのニーズをいち早く捉え、すぐに行動に変えていらっしゃるところは、本当に素晴らしいと思います。
これからも、患者さんが「赤ちゃんがほしい」と考えて頑張ることを応援してあげてください。今後も力を合わせて、お子さんを望まれるご夫婦のために一緒に頑張りましょう!

 

 

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